西蓮寺について
證誠山 西蓮寺は、知恩院を総本山とする浄土宗のお寺です。
現在当山は證誠山 善正院 西蓮寺と号し、本尊は阿弥陀知来で、桃山様式である。証空上人により再興された経緯から、西山国師〜せいざんこくし〜(証空上人)霊場第三番札所となっており、特に関西、関東方面各地一般参詣者また御朱印めぐりの方が訪れています。
中世に遊蓮房円照上人、善恵房証空上人、崇譽徳瀛上人らの高僧たちが西蓮寺で法縁を結び、このような由緒をもつのは、地方の一寺院としては稀であり古刹にふさわしい寺暦を伝えている。
そのかみの
ぜんこうによらい とどまりし
ゆかりのてらに
まいるうれしさ
西蓮寺 詠歌
浄土宗について
宗祖
法然上人(源空) 1133年〜1212年
開祖
承安5年(1175年)
本尊
阿弥陀仏(阿弥陀如来)
教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし明るい安らかな日々を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
宗歌
月影の
いたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすみ
〜法然上人御歌〜
縁起
642年頃皇極〜こうぎょく〜天皇元年
寺伝によると、本田善光が善光寺知来の尊像を伊那より水内へ遷座する際、当地に仏宿を定められたのか寺のおこりと伝えられている。
尊像の宿する場所につき、民衆相集まり話し合いをしたが定まらず、一夜明け、再び民衆が集まったところ、皆一同異ロ同音「一筋の光がある一点を照らし、そこに天女が舞っている夢を見た」との声あり、その一点を仏宿の聖地と定め、そこに一宇か建立された。これにより「夢定の霊場」とも伝えられている。
1161〜1174年永暦2年から承安4年
遊蓮房園照上人〜ゆうれんぼう えんしよう しようにん〜が布教のためこの地を訪れ、信濃の片田舎に念佛の種を撒き、村人に法縁を結ばせたのである。
1232年貞永元年
西山派の祖、善恵房証空(ぜんねぼうしょうくう)上人が諸国巡拝の途、当地により、草が生い堂宇が傾き荒れた古跡を惜しみ堂宇の再建を発願し、日夜、四方に浄財の喜捨を乞い、これによって、貞永ニ年に再興され、信濃に念佛を広める浄土宗寺院の一翼となった。
1414年応永21年
浄土宗中興の祖 聖冏〜しょうげい〜上人の弟子 宗譽徳瀛〜そうよとくえい〜上人が在住し、堂塔の修理を加え、中興開山上人となる。
1752〜1763年宝暦年中
庫裏、本堂等が建立された。しかしこれを機に「欄間騒動」・「牌席論」等紛争がおこり、本堂が炎上した。
現存の庫裏・山門等は宝暦年間に建立された当時のものであり、現在に至っている。
天神社
当山境内に学問の神様と言われた菅原道真を祀った天神社があります。
天神社は万延元年(1860年)立川和四郎冨昌〜たてかわしろうとみまさ〜のニ男冨種〜とみたね〜の建築で、冨種は専四郎啄斎〜せんしろうたくさい〜と号し、その彫刻は鋭利にすぎ、刀をふるいすぎていると言われています。
天神様にゆかりの深い、梅花、各面竹に雀、松に鶴、風神像など一統の得意の題材とした「亀に流」等がほどよく配備彫刻され美形を造りだしています。
受験生が合格を願ってお参りにきます。当山では毎年学問成就を祈願して入学祝を行っています。